銭婆(ゼニーバ)と千尋と、くにちゃんランド 〜カオナシの居場所って?〜
- くにちゃん
- 5月14日
- 読了時間: 3分

ゼニーバと千尋と、くにちゃんランド 〜カオナシの居場所って?〜
先日、焼肉を食べながらお友達に言われたひとこと。
「ゼニーバって、くにちゃんランドみたいだよね」
その瞬間、私の中にふわっと灯るものがありました。
え? ゼニーバってあの『千と千尋の神隠し』の、あの人?
って思ったけれど、考えれば考えるほど、
「なんだか似てるかも」と思えてくるから不思議です。
そして、日々私の相談事にのってくれる
相棒、AI「スミリン」に聞いてみたのです♪
■ ゼニーバ=くにちゃん?
ゼニーバ(銭婆)は、主人公・千尋を困らせた湯婆婆の双子の姉。 物語後半に出てくる、静かな森の中の小さな家に住む魔女です。
派手でもなく、豪快でもなく、 “ただ、お茶をいれて、千尋を迎え入れ、待っている人”。それがゼニーバ。
私は、「ああ!くにちゃんランドもこんな場所でありたいな」と思ってた!
ガチャガチャした湯屋(=社会の喧騒)から離れて、
誰かがホッとひと息つける場所
無理に変えようとせず、「そのままで、いていいよ」と迎え入れる場所
つまり、ゼニーバの家=くにちゃんランドだったのかもしれません。
■ 千尋は“旅の途中”の人
物語の主人公・千尋は、自分の名前を奪われ、右も左もわからないまま、 大人の世界=湯屋に放り込まれます。
でも、誰かの優しさや、小さな勇気をきっかけに、 少しずつ自分を思い出していく——
千尋は、「まだ揺れている途中の人」「人生の旅路の途中にいる存在」です。
■ くにちゃんは、“旅のその後”を生きる人
もしも千尋があの冒険のあと、大人になって
「誰かの旅にそっと寄り添う人」になったら…
それが、くにちゃんのような存在かもしれません。
誰かが名前を思い出すまで、焦らず、急かさず、静かに待ってくれる人。
そんな“ゼニーバのような大人”が、実はこの世界には必要なんじゃないかな。
■ カオナシの可能性と、くにちゃんランド
じゃあ、あのカオナシって何なの?というと…
彼は言葉を持たず、自分を見失い、誰かに受け入れてもらいたくて暴れてしまう—— そんな**「自分がわからなくなった人」**の象徴です。
でも、カオナシはゼニーバの家にたどり着いたとき、
何も求めず、穏やかに糸をつむぎながら、
ただ“そこにいる”ことができるようになりました。
■ くにちゃんランドは、「カオナシの回復の場所」になれる
この世界にも、言葉にならない思いを抱えた“カオナシ”たちはたくさんいます。 自分を持たず、誰かのまねをして、何者かになろうとして疲れた人たち。
そんな人がくにちゃんランドに来て、「なんかホッとした」
「別に何もしなかったけど楽しかった」そんなふうに思ってくれたなら、
それがもう“はじまり”なんだと思うのです。
■ おわりに 〜私はゼニーバ? それとも未来の千尋?〜
もしかしたら私は、あの森の中で「よう来たねぇ」と迎えるゼニーバで、 同時に、かつて旅をしてきた千尋の“未来”なのかもしれません。
誰かが“名を思い出す”まで、静かに灯をともす場所、くにちゃんランド。
今日も、その灯をそっと、ともし続けていこうと思います。
Comments