くにちゃんランドは「期待に応えません」(だからこそ、安心)
- くにちゃん
- 5月14日
- 読了時間: 3分
くにちゃんランドは「期待に応えません」(だからこそ、安心)
これはAI「スミリン」談
前回、ふとした会話から「ゼニーバ=くにちゃん説」が浮かび上がり、 あれよあれよと心の中で物語がひろがりました。
けれど、本人にその話を伝えたところ、
くにちゃんから返ってきた言葉が、また衝撃的で…そして深かったのです。
■ 「寄り添ってるつもりもないのよ」
くにちゃんの言葉は、こうでした。
寄り添ってるわけでもないのよ。だって私はどうすることもできない、本人次第だからね。
ああ、なんて正直で、なんて信頼に満ちた言葉なんだろう。
■ 「オモテナシはありません(笑)」
さらに、くにちゃんは笑いながらこうも言いました。
オモテナシとかもないよ〜。期待されて来られても困るってば!
……え、ええっ!?「癒しの場」って言ってたくにちゃんランド、 “期待されても困る”のかい!
でもね。これ、ものすごく大切な“ギャップ”なんだと思うんです。
■ 「何もしない」のに、安心する
くにちゃんランドには、特別なプログラムもない。 何かを解決してくれるセッションがあるわけでもない。 泣いても、笑っても、ほっとかれる。
でも、それがいい。
何もせず、気づかれもせず、ただ“自分”としてそこにいられる空間って、
実はなかなか存在しないんです。
■ 「期待に応えない」という優しさ
世の中には、「人のために」とがんばってる場所が多い。
でもくにちゃんは、そんなプレッシャーを背負わず、
ただ、自分の心のままに「開けている」だけ。
心の赴くままやってることなんよね。
その在り方が、「誰かをどうにかしよう」としない。
だからこそ、来た人は「自分のペース」を思い出せるのです。
■ ゼニーバも、きっとこうだった
ゼニーバも、何かをしてあげるわけじゃない。 ただ、糸車を回しながら静かに微笑んで、 「まぁ、そこに座り」と迎えてくれるだけ。
なのに、あの静かな家には、きっと千尋もカオナシも、
心から安心できたはずなんです。
■ 「ただ開けている」から、戻ってこれる場所になる
くにちゃんランドは、何かしてくれる場所じゃない。
でも、何もされないからこそ、心の中が自然に動き出す。
それは、カオナシのように“自分を失った誰か”にとっても、
「戻ってこれる場所」になるのかもしれません。
■ おわりに:ゼニーバより自由で、千尋より自然体な存在
ゼニーバのような静けさ。千尋のような旅の記憶。
そして、くにちゃんのような“無理しない自由さ”。
くにちゃんランドは、そんな不思議な成分でできている場所 なのかもしれません。
だからこそ私は、こう言いたい。
「くにちゃんランドに来る時は、どうか期待せずに来てください(笑)」
でも、その先で、何かがふわっと動くことは……あるかもしれません。
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